2006年12月26日

なしくずし

私の特技に特に計画もせずになし崩しつつ結局結果を出してしまう、というのがある。

昔はそうではなかった。
がっちり計画し合格確実ラインまで行ったトランペットでの音大入試は、しかしながら、いよいよ実技試験って時に貧血でぶっ倒れそうになり、すべて無と化した。それがトラウマ?になってしまったせいか、一オクターブしか出ない人になってしまった。トランペットで一オクターブしか出ないなんて初心者よりひどい。でもホントにそんな状態だった。その状態で二年間音大を受け続けた。いやー病的だね、いま思うと。

三回目の受験の時にみかねた周りが「あんたはピアノが弾けるのだからピアノ科でいけ!」と言ってくれた。が、当時のオレは病的にトランペットに固執していた。三回目にはさすがに、このままではオレの人生は意味不明になってしまうと、思えるようになってきたのだが、当時の国立音大はピアノ科とトランペット科は併願が出来ないシステムだった(今はどうかしらないが)。自分へのけじめとして、どうしてもトランペット科は受けたかったので、併願が可能な音楽教育学科を第二希望として受験し、結局、音楽教育学科に受かった。

在学中にピアノを弾いて仕事をする、という事を得て今に至る訳だが、今、冷静に思えばピアノ科で受けておけば、プロフィール的にも良かったに違いないのだが、当時すっかり病んでいたおれはひたすらバッハに固執して学生時代は結局一回もロマン派の曲を演奏しなかった。ショパンとかシューマンとかそういうのをまったく弾かなかった。学生時代以前は弾いてたんですけどね。
卒業試験はバッハのフーガの技法からの四声の曲を選んだ(笑。
ピアノ科に入っていたらそうはいかなかっただろう。いろいろと弾かねばならなかっただろう。バッハだけなんて絶対許されない。

まあ、そういうロマン派的なピアノスティックな技術はあまりなくなってしまった。


でもその経験が今かなり役にたっている…

だったら計画しなくてもいいんじゃん…(笑


でも計画しなきゃいけない時もあるんだよな。音楽やってると。音楽は毎日の蓄積である。でもそういう計画をしようって気にならない…。つらつらと書いていて、その理由に今気がついた(笑


来年は少しかわるかな。


でも、自転車では今年はわりと計画的でした。まあ富士200ではレース設計という計画をしなかったんだけど…(爆
音楽ではなかなかそうならなかったわけも、うなづける。トラウマは気がつくと克服できる。すこし成長した気がする。


ってわけで、気がついたのは今日だ(笑

当然、今回の引越もなしくずしであった。ベッドが移るのは、いよいよ明日だ。なんとか荷造りもぎりぎりすみ、力強い友人の助けをかりてなんとか明日、終わるであろう…。ありがたいものです。

そう、今日、三時頃。
荷造りも半ば終わった。久しぶりに開放感でビールを飲みつつブログを書いているわけですよ。

ひばりケ丘最後の夜だ。
途中、荷造りの途中に無理矢理かんたん舎に出かけてアイリッシュモルトを二杯いただいた。常連のKくんが店の前に停めてあった自転車に気がついて顔を出してくれて、Kくんの連絡でKくんのパートナーであるNちゃんも、もう寝床につこうとしていたのに、かけつけてくれた。

そういう気持ちがうれしい。もう当分会えないかもしれないから顔を見ておこう、という気持ちが嬉しい。東京には週に何回かは仕事で行くのでかんたん舎に行く事もあるだろうが、やはり今までのようにばったりと出会える事は難しくなるだろう。別れというのは、そういうアバウトなものなんだろう。

なんとなくいろいろ感謝な気分である。

今回の引越準備作業ではかみさんの体調があまり良くなかった。今年はかみさんは教職について初めての担任を持って、慣れない仕事を手を抜かず必死にやった。二学期が終わって体調をくずしてしまったのも無理は無い。でも引越作業をやれないかみさんにいらだってしまう自分もいた。その辺の幼稚さも今思うと恥ずかしい。そういう仕事で適当に手を抜いてしまうかみさんにほれた訳ではないので、彼女がこの時期に疲労困憊してしまったのも、ちゃんと骨の髄から理解せねばならん、と、かんたん舎の帰りに思った。

いろいろと環境が変わるとあらためて学ぶことがある。



友人のmixi日記でペシャワール会の中村哲さんのコメントとして以下のようなのが紹介されていた。

『一言で言ってしまえば、
「相手の立場に立つ」ということでしょうね。
相手がどんなことが苦しいのか、どんなことが悲しいのか
どんなことで怒るのか、どんなことが嬉しいのかを知って
相手の習慣なりをそのままを受け入れる。
そのことが信頼につながって行く。

いろいろな人に裏切られたり盗まれたり、いろんなことがありましたが、やはりその人のもっているまごころというのは共通したものがあって、それが信頼に到る。
それは誰の中にもあるんだ、たとえ殺人を犯す人の中にもあるんだ、そんなふうに思います。
逆に、どんな善人であっても、しかし影はこの人の中にもある。

それをひっくるめて、
人間というのは愛するに足るものだ
まごころというのは信ずるに足るものだと思います。』


まさに同感。骨の髄から共感できる強い人間になりたいものです。
年の瀬に、すこし自分が立っている場所を眺めてみる事の出来る言葉だと思います。


でも明日は雨のようだ。こればっかりは。
さらなる試練をうらめしくおもってしまう。まあしょうがない。

数日ネットに繋げないかもしれません。
火急の用の場合は携帯へどうぞ!

ではよいお年を!(はや
posted by やまぐち at 04:40| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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