2006年12月09日

契約終了

本日、賃貸契約終了しました。これで越生移住確定!今月26日に引越します。


ひばりケ丘に住んで5年ほど。東京に来てこんなに長く同じ場所に定住した事は学生時代以来初めてだったりする。

上京すぐに叔父貴の斡旋で日野に一年ほど住んだ。

大学が西武拝島線玉川上水駅にあり、受験するにはと、19才から27才ぐらいまで隣の武蔵砂川駅の三万円アパートに移り住んでいた。音大生ばかりで、風呂は共同だったが5人位一度に入れる巨大な物だった。近所にあった日産の工場の独身寮が老朽化して売り出されたのを大家が賃貸アパートとして購入し、という経緯があったそうなので、そんな巨大な風呂があったのだろう。その名は「岡本荘」という。近所の管理人さんが風呂を沸かしてくれていた。私はアルバイトで管理人さんの娘さんにピアノのレッスンをしたりしていた。当時の私は今よりも少し馬鹿で一方的でスパルタだったので、彼女はきっとピアノが嫌いになったに違いない。申し訳なく思っている。


18才で初めて自信満々で大学受験し、本番で貧血になり(笑)当然落ちて、それから、そのトラウマで二浪する羽目になるのだが、実家を出たい、の一心で浪人一年目に東京に出てきて、日野に住んでいたが、当時お世話になってたカワイピアノの営業の方に紹介してもらったのがこの安アパートだった。今でも私はカワイしか買った事が無い!(笑 いま使っているのは二台目のカワイグランドだ。まあ昔のカワイの倍音の豊かな音が好きなのだが。


そんな安アパートに住んでいる訳から、良家の女子が通う音大というような、イメージとはかけ離れた人たちが多かった。

私は一番はしっこに住んでいて、隣にはチューバ奏者が住んでいた。

チューバは、世界最大の爆音装置であるフルオーケストラでもせいぜい一人か二人しかいない爆音楽器である。彼が練習を始めるとその爆音で窓が震える。私はなにもできなくなって外に散歩に行く羽目になる。でも私が入学した頃には彼は卒業し、浄書屋さんとして活躍を始めたので、その爆音に悩まされる事は少なくなった。

実際、お互い様だ。私も学生時代は少なくとも五時間位ピアノを普通に毎日、練習していたから、その騒音は堪え難かっただろう。でもそのチューバ吹きは私がマックを買ったという事を聞いて浄書ソフトをくれたりして、いい人であった。

彼が彼女に電話していて「今日の夕飯は麻婆豆腐作ったけど…」と話したのをなぜか妙に覚えている。まあ、そのぐらい薄い壁だった、という事です。


その隣にはホルン奏者が住んでいて、この人もチューバ吹きと同期の方で、私が学生になった時にはオーケストラのエキストラやスタジオで活躍されていたようだ。変わった方でいつも黒のホームズか着てるような肩に一枚余計な布のあるコートを着ていた。子供だった私には近寄りがたい人であった…

その隣には楽理科の卒業生。いつもスコット・ジョブリンのストライドピアノを弾いていて、当時ジャズピアニストとして仕事を始めていた私には心の中で意識せざるを終えない存在だった。これがうまいんだ。私にない何かをもっているのは確実で、嫉妬まじりのなにか近寄りがたい存在であった(笑 繰り返すが、その当時の私は今に比べても相当子供だったので、もうすこし接し方があったろう、と少し後悔している。仕事は何をされていたのだろうか。いろんな話を聞けたかな〜、と。逆に言えば一番興味が会った人、だったのかもしれない。


その隣には受験時代から知っているトロンボーン奏者。この人はその後も一緒にダンスホールとかで仕事をしたりして、今も時々会ったりしている。一緒に仕事をしよう!というが、彼は某超有名演歌歌手のサポートをしたり、私は完全にインプロ業界なので接点がさすがになく、なかなか実現しない。音の素晴らしく美しいトロンボンニスト。ちんこは普通左曲がりなのだが、この人のは右曲がりらしく自ら「J」と称して、女好きですごい人である。学内でも近寄ったら妊娠する、ぐらいのことを言われていた。ラブホテルの入り口の前で女性を前にして土下座しているトコロを目撃されたりして。すごい根性である。同じ位の集中力と熱意でトロンボーンには取り組んでいた。今もって交流があるのはこの人だけ。


私の上には音楽教育学科の一年上の先輩が住んでいた。この人は吹奏楽の指導者になるべく勉強されていて、でもクルマが大好きな方で。この人からKP61を買ったりして、当時バイク乗りだった私にクルマを手ほどきしてくれた。一緒に陣場高原にいったり。そういやKP61の代金、払ったかな…(^^;;
この人もやっぱりよく女性を連れ込んで、夜中の声に悩まされた(笑

その隣には楽理科卒業生の女性が住んでいて、この人は同郷だった事もあり、浪人時代につきあった女性がその方の同期だったのもあり、いろいろとよくしてくれた。私が住み始めて三年目ぐらいにイスラエルに留学された。前述の管理人の娘は最初彼女からピアノのレッスンを受けていたのだが、彼女の留学後私のトコロにくることになった。繰り返すが、申し訳ない。

その隣にはサックス奏者が住んでいて、ほとんど交流がなかったが、やはり私が住みだして二年目ほどにヨーロッパへ留学された。

その隣には音楽教育学科の女性が住んでいて、入居当時、ショパンの革命をさらっていたら、訪れてきて当時、浪人だった私に「手伝える事があったら言ってね!」とわざわざ言ってくれた。浪人だって事をどこで知ったのか不思議だった。私が入学した年に退去してほとんど交流も無かったが、印象に残っている。

その隣には同期の声楽科が住んでいて、同期ってこともあり学内でも仲良くしていたが、私がニューヨークに行く時に音大の図書館に返し忘れた資料を「お願い!返しておいて!」「いいよ〜」って感じで、帰国したら資料の代金が実家に請求されていたりして、いい加減なやつだった(笑。まー、おれもいい加減か。彼は今も時々、仕事関係のパンフレットとかで名前を見つけたり時々する。会ったら「このやろう」といってやろうと思っている。

ここ岡本荘に住んでいた学生は、ほぼプロになったと思う。今考えるとそれはすごい事だと思うね。きっと貧乏は良い事なんだと。


その後ニューヨークに行って、ヨーロッパにいって帰国。

今まで西武線、中央線、だったので小田急線に住んでみようと、町田の手前の鶴川に住んで二年、かみさんに出会い、結婚して大田区の京王線千鳥町に住み二年、その後ひばりケ丘に引っ越した。

その後、ひばりケ丘に思いの他住み続けたのだが、いよいよ念願の埼玉の奥地へ引っ込むことになる。ひばりケ丘は良い町で、ホントにいろいろな出会いがあり、楽しかった。

越生ではどんな出会いがあるかあるか楽しみ。
posted by やまぐち at 23:49| 埼玉 🌁| Comment(7) | TrackBack(0) | 日常雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
爆笑です!
Posted by スゥ at 2006年12月10日 00:19
楽しんでいただけたようで良かった!(笑
Posted by やまぐち at 2006年12月10日 02:20
人でない生き物や、モノとの触れあいが、やまぐちさんを大きくしてくれるんじゃないでしょうか?
Posted by らんた at 2006年12月10日 18:45
待ってますからね。
よかったら住所お送りください
メアド掲載しときます。
Posted by 3K at 2006年12月10日 21:36
らんたさん
大きくなったのは確かですかね〜
いろんな意味で(笑

3Kさん
どうもありがとうございます〜楽しみです!
メアド掲載されません…。そういう仕様にしてしまったようですみません。3Kさんのブログの方に私のアドレス書いておきますので、よかったらメールいただければと。
Posted by やまぐち at 2006年12月11日 11:12
わー!いよいよですね(^_^)
越生ではやまぐち家にどんな出合いがまっているのか!
まるで物語のつづきを待つようです。
楽しみですね♪
Posted by コサかず at 2006年12月11日 15:03
ども〜
熊にだけは出会いたくないなあと思っております…(笑
是非、遊びにきてください!
Posted by やまぐち at 2006年12月12日 01:18
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