2006年10月06日

酔っぱらいつつ「表現」という言葉について

今、石山修武氏の「建築はおもしろい」という本を読んでいる。

抜粋より
「生きる事の全体こそが最大の表現で、それはほかの何ものも遥かに超えて大大きいのだと川合は教えた。」

「川合」というのは川合健二氏。石山氏が師と仰ぐ方である。興味の在る方はGoogleあたりで調べられたら良い。彼のコルゲートハウスはこういう家を造りたいと思わされるものだ。一度、本物を見てみたい。


石山氏の上記のテキストはまったく同感で、それ以上でもそれ以下でもないと思う。しかし「表現」という言葉が気になる。

実は、私は表現という言葉そのものに懐疑的だ。


「人は人に教える事ができない」

先日ライブをした無力無善寺の室内の張り紙にそう書いてあった。私もまったく同感だ。学ぶのを手助けをする事はできる。しかーし「おしゃれなジャズピアノを弾きたい」なんて人に私は何も言う事が無い。せいぜいコードの事を教えるぐらいだ。そんなのそのへんの教則本に書いてある。読み書きそろばんのレベルだ。独学しろよ。


表現という言葉に、私は「人に私はこうですよ!」と訴えるイメージを感じる。「人に教える」という事と同じ種類の不毛さと傲慢さを感じる。

マイルス・デイビスは「プレイする」とよく言ったそうだ。演奏する。私の目指す仕事はそれにつきる。ただ演奏する。そこで演奏するだけ。ジャズとかインプロとかクラシックとか、どうでもいい。

つまり、「表現」という言葉にはなにかうっとうしい小さいエゴを感じる。人間は不毛な存在なのだ、っつう事を忘れた愚かさを感じる。人と通い合えるのは奇跡なのだ、という事を忘れた愚かさを感じる。


しかし、ここまで書いて改めて読み返してみると石山氏の「表現」という言葉にはまた別の挟持を感じる事ができた。それは、それで収穫だったりする。

「表に現す」となると、私の嫌いな語感になる。
「表に現れる」となると、だいぶ、ストライク。

「表現されてしまった」という文章が私の中では、今のところあまり違和感がない事を発見した。

また、一つ言葉から自由になれた気がする(笑
書いてみるもんだな…
posted by やまぐち at 02:40| 埼玉 ☔| Comment(7) | TrackBack(0) | 日常雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
人は人に教えられないというのは同感ですね。学び方は教えることが出来るけども、結局本人しだいです。
努力している人が何か壁につき当たった場合、誰かの一言(直接でも間接でも)もしくは何かの事象によってひらめいたもので壁を破ることが出来ますよね。人を導くのは基本的にはそれだけで良いと思うのですが、そうも言っていられないか。努力する人ばかりではないし。私を含めて。
Posted by rully at 2006年10月06日 08:52
「人は人に教える事はできない」まったくその通りですね。
人間として真摯な表現者は、表現するということの傲慢さを常に意識しているのではと思うのですが。「表現」て言葉にエゴを感じるというやまぐちさんの話もそれに通じるのかな、なんて。さりとて「表現」に代わる他の言葉が思いつかないんだけど。先日の芝居のときはみんな「運動」や「支援」に対して「表現」と言っていました。あのときのそれは「祈り」と同義であったように思います。
Posted by スー at 2006年10月06日 10:36
rullyさん
今、子供たち相手にカホーン(箱のような打楽器)のワークショップを定期的にやってるのですが、「教えよう」と思っていろいろやってると、彼らの目が死んでいくのがよくわかります(笑。
子供たちは結構やれるので、そろそろ彼ら自身にプログラムを考えてもらう方向で行こうかと思っています。
問題は、こうしたい、という欲望だと思うんですよね。そういう欲望は絶対値は人それぞれたいして変わらないと思うので、そういう所を刺激できると、もうすこし関われると思うんですが、難しいです。

スーさん
今回、このテキストを書いていて、あらためて思ったのはホントに言葉は深い、という事です。底なしだね。私なんかの薄〜い言葉使いではとても覗けるもんじゃないらしいです。よっぽどアップするのやめようかと思ったもん(笑
私のなかでは「表現」という言葉の代わりは「プレイする」「行為」「存在する」等々があります。「祈り」という言葉もなんら違和感がありません。
しかし、「表現」という言葉はそれぞれのケースで、本当に万感の思いで使われているのですねえ。言葉というのは一元的な意味でついとらえてしまうんだけど、そうではない、底なしでやっぱりそこには世界があるんだ、と改めて思いました。いや、ホント面白い。
Posted by やまぐち at 2006年10月06日 16:05
無力無限寺でお会いしました彫刻家のぶんぶんです。今月、ある雑誌にインタビューが載るのでそのゲラを先週読んだのですが、
それはそれは「表現」という言葉が多く使われています。書面になると、自分の使った「表現」という言葉とライターさんの使う「表現」という言葉とが同義語ではない気さえして、どうしょうかと悩みました。
難しいものです。それゆえに自分の確固たる考えを持ちたいと意気込んだところでした。
ちなみに私は「表現する」は少し嫌いがあり、「表現になる」という使い方をします。
Posted by bun2 at 2006年10月06日 19:41
ぶんぶんさん
「表現になる」もぽっこり感があっていいですね〜。その雑誌、よかったら紹介してください。
Posted by やまぐち at 2006年10月06日 23:27
ぽっこり感!^^
クイックジャパンというサブカル誌です。
12日発売みたいです。何ページかわかったら、お知らせします。探すのが大変だと思うので。
なかなかに細かい雑誌です。
Posted by bun2 at 2006年10月07日 00:46
QJですね!一時期読んでた時期もありました。楽しみですね〜近所には無いので、都心に出た時にでも探してみます!
Posted by やまぐち at 2006年10月08日 00:38
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